私が今までいつ、どのような症状があったのかを強迫性障害の備忘録として書いています。
今の時点で思い出せる限りの記憶を振り返り、記載します。
思い出そうとして一番最初の記憶として、強迫性障害になりそうな可能性があった行動をし始めたのは、中学生の時です。当時はキレイ好き・潔癖症くらいに思っており、こんなに酷くなるとは思わず、過ごしていました。
ここで強迫行為をしている対象は、私が当時、特に恐怖対象としているものですが、他にも継続して嫌だと思うものなどはありました。
一般的な感覚とは違う事は、ご了承の上で読み進めて頂ければと思います。
中学生時代
中学二年:
自分の部屋の埃が気になり、ガムテープで床をペタペタする。それを見た家族がコロコロテープを買ってきてくれて、それ以来、よくコロコロするようになる。
中学三年:
友達が遊びや泊りに来た後、必ず部屋を掃除するようになる。
高校生時代
高校二年:
外から持ってきたカバンなどは、部屋の決められたカゴに入れるようになる。
高校三年:
必ず自分も洋服を着替えてから、部屋に入るようになる。
家族や他人が入ってくるのが、とても嫌に感じ、部屋を閉め切るようになる。
10代後半
対象:地面・屋外
自分の車を持つようになり、アウトドアや屋外に行った後、友達が座ったシートカバーを洗う。
自分が汚いと思うところに行った後の帰りなどはシートカバーを必ず洗うようになる。
自分の部屋の次にキレイを保っておきたい場所になる。
20代前半
対象:一般的に汚いと言われる場所
飲食店のアルバイトをしていた時、ゴミ捨てに行く際に羽織る上着は、通勤で着てきたものとは別で用意する。
同棲していた彼氏に「キレイ好きやけど、排水溝とかの掃除はあんまりしないよね」と言われる
※掃除が出来ない理由はコチラ。
20代半ば
対象:粉・埃・虫
同棲中に段々と部屋をキレイにすることに異常に気を取られ、彼氏に強迫行為を強制する(巻き込み)。
彼氏が粉薬を飲むと、部屋に粉が散らばったような気になり、外で飲んでほしいと強制する。
20代後半
対象:石鹸・洗剤
手洗いの際の石鹸が服の袖についてないかが気になり、ずっとデスクに袖がつかないようにパソコンを使用する。そのため、腕がしびれてしまう。
会社の共有台所にある食器用洗剤・ハンドソープ全てが怖くなる。
※ここで心療内科への通院を始める。SSRIは、デプロメール・パキシル服用→服用期間が長く、量が多かったためか生理が止まる。副作用で過食による体重増加・眠気がひどくなる。
石鹸や洗剤を洗い流すことに必死になり、トイレ後の手洗い、入浴が長時間になり始める。
入浴が長時間かかり、精神的に負担となり、入浴が出来なくなり、4,5日ほど会社を休むようになる。その頃からストレスで過食をするようになる。※半年で15キロ以上増加。
※この時、すでに海外留学を決めていたため、会社を辞めて留学をする。
留学中:石鹸・洗剤に対する症状は少しだけマシになったが、虫が異常に怖くなる。
30代前半
対象:トイレ・排泄物・虫
旅行に行った際、帰りに入った公衆トイレで巻き取ったトイレットペーパーが大量に床に山になっていた。人が待っていたから出ることも出来ずに、とりあえず入ったが、帰宅後から嫌な想像がやめられず、翌日会社へ行けなくなる。
仕事を休んだ間にCBTセンターの先生のところへ行き、暴露反応妨害を行う流れになったが、その
施設のトイレも汚れていてパニックになり、結局その日はできずに帰ってくる。
虫も異常に怖くなり、玄関を出て虫をみるだけで自分の体についていないか、など家族に確認してもらうようになる。(巻き込み)
※上記の会社は派遣社員だったため、契約終了後にしばらく仕事から離れる。その期間に、なごやメンタルクリニックへ行き、集団行動療法へ参加する。少しずつ気力を取り戻し、社会復帰前に約4カ月で-12キロのダイエットも成功させる。
次の会社へ入って半年ほどは、寛解のような状態で過ごしていたが、トイレで経血の汚れを見たことでまた再発し始める。
再びトイレの汚れが気になって、洗濯を何度も繰り返し、友人との約束をドタキャンしてしまうまで悪化。
海外駐在から帰国した上司が社内で噂になるほどの不潔な人で、その上司が恐怖対象となり、さらに症状が悪化する。
ただし、暴露反応妨害などの経験があるため、何とか長期で仕事を休んだりすることはせず、4年ほど勤める。
ある事情で別の事業所へ異動することになり、実家から遠くなるのをきっかけに同県内で一人暮らしを始める。
派遣社員だったため、異動後1年で契約終了となり、退職する。
そのまま転職活動をして、県外へ引っ越しする。
現在
県外で一人暮らしをしながら、正社員として就職、生活をする。
仕事も休まず行き、好きなこともしているため、担当の先生からは寛解の状態に近いと言われている。自分の中では、まだ課題はありながらも、以前と比べると強迫行為に時間を取られることはほとんどない。
まとめ
ざっくりですが、これが今までの私の備忘録です。
私は、昔から旅行が好きで、音楽も好き、人と会うことも好きです。
好きな事は、諦められない性格です。どん底でひどい時ですら、決まっていた留学へ行きました。
症状を持ちながらも、海外旅行・友人と会う・趣味の音楽などなど、楽しむことはしていました。
私は当事者なので、強迫行為の辛さは、本当に身に染みて理解しています。
何度も死にたいと考えたこともあります。
その私だからこそ、言いたいのですが好きなことを諦める必要はありません。
そして、そのためには、自分と自分の病気と向きあうことを継続することが本当に大切です。
もうひとつ、寛解の状態になっても暴露反応妨害を自分で定期的にやり続けないと私のようにぶり返す可能性が非常に高いです。
私は病気の事を友達にも話しています。他人・家族であってもこの病気を理解するのは難しいことも理解して、話しています。
完璧に理解してもらえなかったとしても、自分を支えようとしてくれる人はいるはずです。
だから、一人・自分だけと思わずに前を向いて、日常生活を取り戻してほしいと思います。
この記事を読んでいる方には、それをお伝えできればと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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